百人一首56番歌
あらざらむ
この世のほかの
思ひ出に
今ひとたびの
逢ふこともがな
「後拾遺集」恋3-763
by 和泉式部
970年代~不詳
越前守大江雅致(まさむね)の娘
中宮彰子の女房の一人
60番歌小式部内侍の母
あらざらむ(=死にそうな私が)この世のほか(=あの世)へ旅立つ思い出に、もう一度貴方に逢いたい。
和泉式部は、冷泉天皇の皇子敦道親王との間に一子(永覚)をもうけました。
敦道親王との恋の顛末、
恋の始まりから親王の邸に入り、正妻が邸を出て行くところまでを記した物語風の日記「和泉式部日記」を著しました。
敦道親王は1007年(寛弘4年)に27歳で早世し、和泉式部は裳に服した後、
紫式部、伊勢大輔、赤松衛門らとともに、一条天皇の中宮彰子に女房として仕えました。
その後、藤原保昌と再婚し、1027年(万寿4年)までは生存が確認されています。
1025年(万寿2年)、娘の小式部内侍(60番歌)に先立たれました。
母の和泉式部の哀しみは深く、「和泉式部集」に哀傷の歌がいくつか載っています。
そのうちの1首
「小式部内侍みまかりて、孫どもの侍るを見て」という詞書で、
「とどめおきて、誰を哀れと思ふらむ。子はまさりけり 子はまさるらむ」
愛するものに死に遅れた和泉式部の痛切な慟哭である。(本より)
和泉式部の晩年の詳細は不明です。
栄華物語、大鏡、宇治拾遺物語、沙石集、など沢山の書に和泉式部の逸話伝説が載っています。
「新古今集」恋1160
枕だに
知らねばいはじ
見しままに
君語るなよ
春の夜の夢
by 和泉式部