(57)めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬまに

百人一首57番歌

めぐり逢ひて
見しやそれとも
分かぬまに
雲隠れにし
夜半(よは)の月かな

新古今集」雑上1497


by 紫式部
生没年不詳
藤原為時の娘。
源氏物語」「紫式部日記」作者
中宮彰子の女房の一人



久し振りにめぐり逢い、間違いなくその人なのかと見分けがつかないうちに、雲間に姿を隠してしまった夜半の月のように、友達は去ってしまったわ。


古今集」に、
(7月10日頃、幼友達と久し振りに出会ったけれど、ゆっくり話もしないうちに、その夜の月同様に慌ただしく帰ってしまったので詠んだ)とあります。


田辺聖子さんの「小倉百人一首」に、「紫式部集」によると、その女友達は恐らく地方官に任じられた父に従って任国へ下るので、別れを告げに来たのではないか、紫式部は別れを悲しんだ、娘時代の歌でしょうということです。



紫式部は小さい頃から怜悧で、父が兄に漢籍を教えていると、そばで聞いていた紫式部は兄より早く覚え、父は(この子が男の子だったら)と惜しがったそうです。


紫式部の曾祖父は、27番歌作者の藤原兼輔、父は為時、母は早世したようです。


紫式部藤原宣孝の妻となり大弐三位(58番歌)を生みましたが、夫が亡くなり未亡人になってから「源氏物語」を書き始め、一条天皇の后彰子に娘と共に出仕しました。


藤原道長全盛時代に活躍しましたが、
紫式部日記」には、藤原道長が戸をたたいたのに開けず、返事もせずに夜を明かした=関白道長に言い寄られても聞かなかったと書かれています。


次の58番歌は紫式部の娘、大弐三位の歌です。