(55)滝の音は たえて久しく なりぬれど

百人一首55番歌

滝の音は
たえて久しく
なりぬれど
名こそ流れて
なほ聞こえけれ

「千載集」雑上1035
(「拾遺集」雑上449:滝の糸)

by 大納言公任(きんとう)
966~1041(76歳)
関白太政大臣頼忠の息子
64番歌定頼の父



水が枯れて滝の音が絶えて久しいですが、その名声は絶えず今でも聞こえています。



作者藤原公任は、藤原道長と同い年。

学問、和歌、管弦に優れた才人。
「36人撰」や「和漢朗詠集」を編纂、「北山抄」などを著しました。


関白頼忠の嫡男として順調に出世していましたが、
天皇外戚関係は得られませんでした。

986年に一条天皇が即位すると、公任の父頼忠は関白を辞任し、天皇の外祖父藤原兼家が摂政となりました。

政権が藤原兼家、道隆、道長へと移り、公任は、一条天皇時代の四納言の一人として仕えました。

政治より文化的活動に比重を移すようになり、晩年は出家して隠棲の日々を送りました。

55番歌は、999年に
かつて(百数十年前)嵯峨天皇離宮があった大覚寺
藤原道長随行していった時に詠んだ歌。



紫式部日記」には、
寛弘5年(1008年)の秋、
藤原道長の邸宅の土御門殿で、
敦成親王(のちの後一条天皇)誕生の祝宴のとき
公任が紫式部
(このへんに若紫はいらっしゃいませんか)と声をかけ、紫式部
光源氏もいないのに、若紫がいるわけないじゃないの)
と思ったと書かれています。

公任のエピソードは「今昔物語」「大鏡」「枕草子」にも書かれています。



藤原道長全盛時代を迎え、
百人一首56~62番歌は
女性の歌が続き、
公任の息子の歌は64番歌に選ばれています。