百人一首39番歌
浅茅生(あさぢふ)の
小野の篠原
忍ぶれど
あまりてなどか
人の恋しき
「後撰集」巻9・恋577
by 参議等(源等、みなもとのひとし)
880~951
嵯峨天皇の曾孫。
嵯峨源氏
浅茅(あさぢ、あさじ)=チガヤ、草の名前
小野=野原
篠=細かい竹
浅茅生の小野の篠原=
篠の下に浅芽が生えている野原=
浅茅のように篠の下に忍んでいる
あまりて=あふれ出て
などか=どうして
これまでは忍んできたけれど、思いがあふれ出て、どうしてこんなにあなたが恋しいのでしょう。
この歌の本歌は、古今集505番歌の
浅茅生の
小野の篠原
忍ぶとも
人知るらめや
言ふ人なしに
(読み人知らず)のようです。
「浅茅」は、手入れがされていないイメージで、源氏物語や枕草子などにもよく出てきます。
枕草子より
第115段(あはれなるもの)終わりに
・・
秋深き庭の、浅茅に露の、いろいろの珠のやうにて置きたる。
・・
「小野の篠原」も頻出します。忍ぶを導く常套句のように使われているようです。
あまりてなどか
人の恋しき・・
あふれ出る恋しい気持ち、どうしてこんなに・・
ユーミンの歌にもありますね、リフレインが呼んでる
どうしてどうして僕たちは~・・
源等は、
嵯峨天皇から臣籍降下して源氏姓を賜った皇子たちの子孫の一人です。
嵯峨源氏のうち公卿となった最後の人といわれます。
関東で武士の騒乱が起きたり、何となく武士の時代へと向かって行きそうな世情の中、百人一首は恋の歌が続くようです。