(93)世の中は 常にもがもな なぎさこぐ

百人一首93番歌


世の中は
常にもがもな
なぎさこぐ
あまの小舟の
綱手かなしも


「新勅撰集」羇旅(きりょ)525

by 鎌倉右大臣・源実朝
1192~1219
源頼朝北条政子の次男
鎌倉幕府3代将軍



世の中はいつも変わらないでいてほしいものです。渚を進む漁師の小舟の綱手を引く何気ない様子がいとおしくも、うら悲しくも感じます。


古語辞典をひくと、「かなし」には『愛し=いとおしい』と『悲し・哀し』のふたつの意味があります。
「かなし」は、何とも言えないしみじみとした切ない風情がある言葉です。



源実朝は、頼朝の子としては第6子で4男、北条政子の子としては第4子で次男として生まれました。


1199年、鎌倉幕府を開いた源頼朝が急死し、第2代将軍に頼家(実朝の兄)が18歳で就任しました。


1203年、兄・頼家が幕府内の政変により暗殺されると、まだ12歳の実朝が第3代将軍に据えられ、
北条政子の父北条時政ら北条一族が鎌倉幕府の執権を執りました。


和歌を好む実朝は、藤原定家に師事し、京都から作歌法の書を送ってもらい万葉集本歌取りの手法を教わり、父の歌が入った「新古今集」も送ってもらうなどしながら、半ば独学で歌を作りました。


1206年、兄頼家の次男・善哉(後の公暁)を猶子としました。


1213年、22歳の時、和田合戦が起こる少し前、実朝が正二位に叙せられた時に詠んだ歌(「金槐和歌集」にある歌)が、第二次大戦中に愛国歌として利用されたそうです。


山は裂け
海は浅せなむ
世なりとも
君にふた心
わがあらめやも


君とは後鳥羽院の事。
朝廷と幕府、二つの勢力が出来た時代、実朝は、武家の棟梁でありながら君にふた心を持ちませんと詠みました。

1218年、右大臣に任ぜられました。


1219年、実朝は、拝礼に行った鶴岡八幡宮で甥の公暁に襲われ落命しました。
享年28歳、満26歳。


実朝に君と歌われた後鳥羽院は、後に「承久の変」を起こし敗れて隠岐に流されてしまいます。


源実朝については「言の葉は、残りて」(佐藤雫)がとても面白かったです。和歌と共に。