(85)夜もすがら もの思ふころは 明けやらで

百人一首85番歌

夜もすがら
もの思ふころは
明けやらで
閨(ねや)のひまさへ
つれなかりけり


「千載集」恋2-766

by 俊恵法師
1113~1191頃
71番歌・源経信の孫
74番歌・源俊頼の子
鴨長明の和歌の師




ねやのひま=寝室のすきま


一晩中、いとしい人のことをもの思いするこの頃は、なかなか夜が明けず、寝室の隙間さえ(なかなか明け方の光が射し込まず)つれない様に思われます。


女性の立場から詠んだ、待てども来ない薄情な男を恨む歌。



百人一首に唯一、3代にわたって歌が撰ばれています。


俊恵法師は、17歳の時に父が亡くなり出家して20年ほど僧として過ごし、
40歳以降に京都白川に歌のサロン「歌林苑(かりんえん)」を設けてさかんに歌会、歌合を催しました。


平安末期の乱世に、俊恵法師が運営するサロンには、老若男女、官位、家格を問わず多くの歌人
道因法師(82番歌)、藤原清輔(84)、藤原教長源頼政、讃岐(92)、寂蓮(87)、鴨長明などが集い20年ほど続きました。


俊恵法師を師と仰いだ鴨長明は「無名抄」にしばしば俊恵のことを書いています。

鴨長明(1155~1216)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の世の中、飢饉、地震、騒乱などを描いた「方丈記」に、平清盛が福原に都を都を遷す時の貴族たちの様子なども描いています。

方丈記 by 鴨長明

冒頭は有名な

「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・」

終盤の言葉

一期(いちご)の楽しみは、うたた寝の枕の上に極まり、生涯の望みは、折々の美景に残れり。

それ、三界は、ただ心ひとつなり。

心もし安からずは、象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。

「人生の楽しみは、うたた寝をすること。
何より満足なのは、自然の美しい景色を見てきたという思い出だけである。
この世は、心の持ちよう一つで、どうにでもなる。
もし心が不安定ならば、どんなに高価な財宝を持っていても意味がない。」

廣田浩一郎さんの『超口語訳 方丈記』より