(67)春の夜の 夢ばかりなる 手枕に

百人一首67番歌


春の夜の
夢ばかりなる
手枕(たまくら)に
かひなく立たむ
名こそ惜しけれ


「千載集」雑上964

by 周防内侍
生年不詳~1108年頃
桓武平氏高棟流、平棟仲の娘


短い春の夜の夢のような、しばしのまどろみに貴方の手枕をお借りして、そのために浮き名がたってしまうなんて口惜しいことですわ。


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詞書
*二月ばかり月あかき夜
(二月(陰暦の春)の月の明るい夜)

(関白教通の邸で女房達が集まって、ひと晩中語り明かしていた時、周防内侍がちょっと横になろうとして、枕がほしいわね、とそっとつぶやいたのを聞いて)

*大納言忠家これを枕にとて、かひな(腕)を御簾の下よりさし入れて侍りければ詠み侍りける


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周防内侍の歌への大納言忠家の返歌は、

契りありて
春の夜深き
手枕を
いかがかひなき
夢になすべき


女房達のいる公的な場で疑似恋愛のやり取りを楽しんでいたようです。

歌の相手、忠家は藤原俊成の祖父で藤原定家の曾祖父です。


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周防内侍は、周防守平棟仲の娘で、後冷泉、白川、堀川天皇に仕え色々な歌合に出席し活躍しています。

父平棟仲は、桓武平氏高棟流の一族です。

百人一首は、
源氏の娘(65番歌・相模)
平氏の娘(67番歌・周防内侍)が宮中、歌合で活躍する時代になりました。


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白洲正子さんの「私の百人一首」によると、
内侍は、住み慣れた家を離れる時に歌を柱に書きつけたそうです。

住みなれて
我さへ軒の
忍ぶ草
忍ぶかたがた
多き宿かな (金葉集)


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白洲正子さんの本より


鴨長明の「無名抄」に、その家は冷泉と堀河の西の隅にあると記してあり、西行もそこを訪ねたことが、「山家集」に見えている。

周防内侍の、われさへの軒の、と書きつけける古里にて、人々思いをのべける

いにしへは
ついゐし宿も
ある物を
何をか今日の
しるしにはせん


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『定家は、朽ちた柱に残る筆の跡を思い浮かべつつ、「春の夜の夢」の歌を選んだのであろう』
白洲正子さんは書いています。

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