(65)恨み侘び ほさぬ袖だに あるものを

百人一首65番歌

恨み侘び
ほさぬ袖だに
あるものを
恋に朽ちなむ
名こそ惜しけれ


「後拾遺集」恋4-815
(永承6年内裏歌合に)

by 相模
995~1061
清和源氏源頼光の娘(または養女)



恨む気力もなくなって
涙で乾くひまもない袖だけでも惜しいのに
その上に、恋の浮名で私の評判も朽ちてしまいそうで口惜しいことです。



65番歌の作者相模は、実父は不詳のようですが源頼光の娘、または養女とされています。

十代の頃、橘則長の妻となりますが離別し、1020年以前に大江公資の妻となり「相模」の名で呼ばれるようになりました。
夫の赴任地相模国随行しましたが、1028年頃に離婚しました。
この頃、64番歌作者の中納言定頼と親しかったそうです。

相模は、一条天皇の第1皇女脩子内親王に出仕し、1049年に内親王薨去の後は、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えました。

この間、数々の歌合に登場して、後朱雀天皇後冷泉天皇の時代に歌壇で活躍しました。



百人一首1番歌、飛鳥時代天智天皇の歌に始まり、時は流れて
紫式部清少納言が活躍した後の貴族の恋の歌などが続いた後、ついに清和源氏の娘が登場しました。

~~番外メモへつづく~~