百人一首43番歌
逢ひ見ての
後(のち)の心に
くらぶれば
昔は物を
思はざりけり
「拾遺集」恋2-710
by 権中納言敦忠(藤原敦忠)
906~943
左大臣藤原時平の三男
母は在原業平の孫
36歌仙の一人
お逢いして契りを結んだ後のこの恋しい心に比べれば、契りを結ぶ前の物思いなど大したものではありませんでした。
恋しい想いを詠んだ歌。
敦忠は、和歌や琵琶の名手だったそうです。
恋多き人で、38番歌作者の右近とも恋愛関係にあったそうです。
この歌を贈った相手は、醍醐天皇の皇女雅子内親王、右近、藤原貴子と、色々な説があるようです。
敦忠の妻は、
北の方(藤原玄上の娘)
源等(39番歌作者)の娘
明子(藤原仲平の娘)
敦忠は、坂本の里に、
音羽川(おとわがわ)から水を引き入れた別荘を所持していたそうです。
別荘に伊勢、中務らを招いて歌宴を開くなど華やかな暮らしぶりでしたが、38歳の若さで亡くなりました。
父の左大臣藤原時平も39歳の若さで亡くなりましたが、菅原道真の怨霊といわれ、父亡き後、時平の弟・忠平が藤原北家氏長者になり政治の実権を握りました。
敦忠が別荘を構えた頃、坂本には既に日吉大社や比叡山延暦寺があったそうです。