番外メモ 天徳内裏歌合

番外メモ


天徳内裏歌合
(てんとくだいりうたあわせ)=
天暦御時歌合
(てんりゃくおんときうたあわせ)

右チーム、左チームに分かれて、歌を詠む方人(かたうど)、自分方の歌を褒めたり相手方の歌を批判したりする念人など、一首ごとに勝負をする歌合。

960年(天徳4年)清涼殿にて、12題、20番勝負で競われました。

村上天皇が主催の歌合。


村上天皇
父は醍醐天皇
母は穏子皇后
兄は朱雀天皇


村上天皇は、兄の朱雀天皇の治世時に起きた平将門の乱藤原純友の乱が収束してから即位しました。


村上天皇は、親政を志向して「天暦の治」と後世に称されたので、天徳歌合を「天暦御時歌合」とも言います。


百人一首40番歌の作者・平兼盛は、
「恋」の題で、
百人一首41番歌の作者・壬生忠見と優劣を競い、
村上天皇の意向で平兼盛の歌が勝ちとされました。



百人一首38番歌の作者・右近も
念人(ねんにん、おもいびと)として参加したようです。
(右近=穏子后(村上天皇の母)に仕えた女官)


念人=自分方の歌を褒め称えたり、相手方の歌を批判したりする、応援人。世話人

紅白歌合戦みたいですし、
1回ごとに勝敗が決まるのは相撲みたいですね。

審判役を判者(はんざ)、判定の詞(ことば)を判詞(はんし=判定理由)といいます。


和歌を詠むことは大切な教養のひとつとされ、歌の優劣が出世にもかかわる重大事であったそうです。


天徳内裏歌合をWikipediaでみると、とても大がかりな歌合で、歌合の後には管弦の遊びも催され、退出は翌朝だったそうです。

その雅な趣向は後世の歌合の手本となったそうです。

。:+* ゚ ゜゚ *+:。:+* ゚ ゜゚ *+:。:+* ゚ ゜゚ *+:。