「高砂」は、
室町時代の
世阿弥の能「高砂や~・・」が有名です。
能「高砂」は、古くは「相生(あいおい)」や「相生松」と呼ばれたそうです。
「高砂、住の江の松も、相生のように覚え」を題材として「高砂」を作り出したそうです。
相生(あいおい)の松=
雌株・雄株の2本の松が寄り添っていて、1つの根から立ち上がったように見えるもの。
または、黒松と赤松が1つの根から生えている松のことで、全国にあります。
能の「高砂」は、
高砂の松と住吉の松とが相生の松であるとして、遠く離れていても仲睦まじい夫婦和合や長寿を祝福する、とてもめでたい能です。
そして、相生の松のめでたさを歌うと共に、和歌の素晴らしさを伝えています。
言の葉草の露の玉、心を磨く種となりて
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然るに、長能が言葉にも、
有情(うじょう)非情のその声、
みな歌にもるることなし。
草木(そうもく)土砂(どしゃ)、
風声(ふうせい)水音(すいおん)まで、
万物(ばんぶつ)の籠(こ)もる心あり。
春の林の、
東風(とうふう)に動き秋の虫の、
北露(ほくろ)に鳴くも
みな和歌の姿ならずや。
「然るに、長能が言葉にも」の長能とは、藤原長能(ちょうのう、ながとう、ながよし)のことだそうです。
長能が、和歌の素晴らしさを論じていると詠っています。
(長生の松や草木万物の声にならない心、森羅万象が人の心を磨く種、和歌は心を磨く種から出来た)というような意味でしょうか。
ワキ「なほなほ、高砂の松のめでたきいはれ、委しく御物語り候へ」
地「それ草木心なしとは申せども花実の時をたがえず、陽春の徳を具えて、南枝花始めて開く」
シテサシ「然れども此松は、そのけしき長へにして花葉時を分かず」
地「四つの時至りても、一千年の色雪のうちに深く、または松花の色十廻とも云えり」
シテ「かかるたよりを松が枝の」
地「言の葉草の露の玉、心を磨く種となりて」
シテ「生きとし生ける、もの毎に」
地「敷島の陰に、よるとかや」
クセ
「然るに、長能が言葉にも、
有情(うじょう)非情のその声、
みな歌にもるることなし。
草木(そうもく)土砂(どしゃ)、
風声(ふうせい)水音(すいおん)まで、
万物(ばんぶつ)の籠(こ)もる心あり。
春の林の、
東風(とうふう)に動き秋の虫の、
北露(ほくろ)に鳴くも、
みな和歌の姿ならずや。」
「なおなお、高砂の松のめでたきいはれ~」から「みな和歌の姿ならずや」という部分は、和歌のすばらしさを伝えていてとても美しいと思いました。