番外メモ 百人一首の後半

百人一首 番外メモ


百人一首後半は、保元の乱平治の乱が起こり平清盛が政治の実権を握り、そして滅び、源氏の鎌倉武家政権が始まった時代の人々の歌。

76番歌の作者・藤原忠通は、保元の乱平治の乱を生き抜いた人。

77番歌の作者・崇徳院
保元の乱後白河天皇(&平清盛)に敗れ、讃岐に配流された人。

81番歌、藤原実定は平清盛により政治的排除され、平家滅亡後、源頼朝の推挙で復権した人。

83番歌、藤原俊成(定家の父)。平清盛の末弟平忠度の歌の師匠。

84番歌、藤原清輔は、保元の乱平治の乱に参画した平経盛の同僚。

86番歌、西行平清盛と交流がありました。

87番歌、藤原定長、平安末期、後白河院の頃から鎌倉時代初期に活躍した人。


貴族政権から武家政権へと移行する激動の頃、

百人一首には武士の詠んだ歌はありません。

武家政権の礎を築いた平清盛の歌もなく、

木曽義仲源頼朝源義経の歌もありません。

そして、承久の乱で敗れた方々の歌で百人一首は終わります。

百人一首には、鎌倉幕府の成立までの歴史の中で詠まれた歌が散りばめられています。