百人一首28番歌
山里は
冬ぞ寂しさ
まさりける
人目も草も
枯れぬと思へば
古今集・巻6・冬315
by 源宗于(みなもとのむねゆき)
生年未詳~939
光孝天皇の孫
父・是忠親王により臣籍降下
36歌仙の一人
源宗于は、天皇の孫でありながら、官位に恵まれず正四位下右京大夫にとどまり「大和物語」に不遇を嘆く歌があるそうです。
この歌も、華やかな都と違って寂しい山里に冬がきたら人の訪れも無くなり、一層寂しくなるでしょう(憂鬱になる~)と詠んでます。
Wikipediaより
源宗于
>逸話
「大和物語」には、宗于が自分の官位があがらないことを宇多天皇に嘆く話が載せられている。
宇多天皇が紀伊の国から石のついた海松という海草を奉ったことを題として、人々が歌を詠んだとき、
宗于は
「沖つ風ふけゐの浦に立つ浪のなごりにさへやわれはしづまぬ(=沖から風が吹いて、吹井の浦に波が立ちますが、石のついた海松のようなわたくしは、その余波によってさえ波打ちぎわにもうち寄せられず、底に沈んだままでいるのでしょうか)」
という歌を詠んで、自分の思いを伝えようとした。
しかし、宇多天皇は
「なんのことだろうか。この歌の意味が分からない」
と側近の者にお話になっただけで効果はなかったという。
~以上、Wikipediaより~
「大和物語」面白そうです、読んでみたくなりました。
源宗于がボヤキの歌が多いのは(父が天皇になっていたらな~)と思うこともあったからでしょうか。
色々な事情があったようですね。
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源宗于は、丹後、摂津、相模、信濃、伊勢の守として地方の政治に携わったそうです。
その一つ相模には、国府本郷、国府新宿、という国府の名を留める地名が残されています。