百人一首15番歌
君がため
春の野に出でて
若菜つむ
わが衣手に
雪は降りつつ
by 光孝天皇
830~887(在位884~887)
平安前期第58代天皇
仁明天皇の第3皇子
先代は、百人一首13番歌の陽成天皇です。
(13)でも書きましたが、
清和天皇の第1皇子の陽成天皇は(色々な理由で)17歳で退位し、
大叔父の光孝天皇(55歳)が藤原基経に推されて即位しました。
古今和歌集、春上・21番歌
詞書きに、
「仁和帝(にんなのみかど)、親王におわしましける時、人に若菜賜いける御歌」とあり、時康親王だった時の歌だそうです。
(仁和は崩御時の和年号)
Wikipediaに、親王時代の住居があったとされる宇田院、とあるので、そこで若菜摘んだのですね。
親王時代からの妃、班子(はんし、なかこ)女王に詠んだのでしょうか。班子女王は、仲野親王(桓武天皇の第12皇子)の娘です
若菜=春に採れる食用の草。新春の七草を食べると邪気を払い万病に良いとされています。
光孝天皇をWikipediaでみてみたら・・
生母不明の子女がとても多くて驚きます^_^;
さらに、
「ほか后妃・皇女多数」と書かれてています。
光孝天皇は、即位してからの政務は藤原基経に任せ、
時には料理をするなど在位中も変わらず、派手・華美ではなく暮らしたとのことです。
優しい人だったそうで、和歌も穏やかな人柄をあらわしています。
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「わが衣手に雪は降りつつ」
は
第1番歌の
「わが衣手は露に濡れつつ」
に似ています。
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1番歌は、天智天皇
天武天皇(天智天皇の弟)系が断絶したために天智天皇系に皇統が移りました。
15番歌は、光孝天皇
文徳天皇(光孝天皇の兄)の系統が断絶したために
光孝天皇系に皇統が移りました。
1番歌と15番歌は、
兄弟で皇統が移ったという似た系譜、
和歌も似ています。
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京都の仁和寺は、886年に光孝天皇が着工し、宇多天皇の代に完成しました。
仁和寺は、1994年(平成6年)に、ユネスコの世界文化遺産(古都京都の文化財のひとつ)に登録されています。