百人一首12番歌は、桓武天皇の孫・良岑宗貞(のちの僧正遍昭)が若き官人時代に新嘗祭のときの舞をみて詠んだ歌だそうです。
百人一首12番歌
天つ風
雲の通い路 吹き閉じよ
をとめの姿
しばしとどめぬ
by 僧正遍昭
そうじょうへんじょう
816~890
桓武天皇の孫
良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
空吹く風よ
天女たちが帰って行く雲の中の通り道を吹き閉ざしておくれ。
舞終わった乙女たちの美しい姿を、もうしばらくこの地上にとどめておきたいと思うから。
この歌は
「古今和歌集」第17巻にあり
詞書(ことばがき)に
「五節の舞姫をみてよめる」と、あります。
「五節舞」とは何でしょう?・・
新嘗祭(にいなめさい)と大嘗祭の時に雅楽と共に舞うことをいうそうです。
4人、または5人で舞ったようです。
新嘗祭は、宮内庁のホームページをみると、
11月23日
「天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。
宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。
天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。」
と書いてあります。
最重要祭典、食べ物に困らないこと、それが一番大切な事なのですね。
この歌「天つ風・・」を詠んだ時(平安時代前期)の舞いは 十二単で舞ったのでしょうか?
美しくて天女のようにみえたのでしょうね。
新嘗祭は中断した時期もありますが、明治以降は宮中で行われるようになったそうです。
雲林院=
京都北区紫野にある。
嵯峨天皇の弟・淳和天皇の広大な離宮紫野院があり度々行幸された。
桜や紅葉の名所としてしられ、文人を交えての歌舞の宴も行われた。
後に僧正遍昭を招き官寺「雲林院」となった。
鎌倉時代には、雲林院の敷地に大徳寺が建立された。
戦国時代に、雲林院は兵火により廃絶し、1707年に再建された。
本堂はなく、観音堂に11面千手観世音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像が安置されている。
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今は小さなお寺のようです。
雲林院の近くに、紫式部や小野篁の五輪塔があるそうです。
「今昔物語集」巻19-1
「頭少将良峰宗貞、出家せること」
に良岑宗貞(僧正遍昭)の逸話が書かれています。