百人一首7番歌
天の原(あまのはら)
ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出でし(いでし)
月かも
by 阿部仲麻呂(仲麿)
あべのなかまろ
(698~770)
奈良時代の貴族。
717年に留学生として遣唐使に同行して唐に渡りました。
唐に渡ってから約30年後、船で日本へ帰国の途につきますが、嵐にあい、唐に引き返しました。
73歳で亡くなるまで、玄宗、粛宗、代宗に歴仕して唐の長安で過ごしました。
唐名は、朝衡(ちょうこう、ともひら)
母国ふるさとの三笠の山を思って詠んだ歌のようです。
天の原=大空
ふりさけ見れば=遠くを眺めれば
春日=奈良
大空はるか眺めれば月が昇っている
ふるさと春日の三笠山に昇っていたあの月と同じ月なのだなぁ
古今和歌集 巻9・406の歌だそうです。
阿部仲麻呂は楊貴妃を見かけたり、会ったことがあるのでしょうか。
ちょうど、ファン・ビンビン主演のドラマ「武則天」見始めたところなのでメモしました。
それから、李白は、
松尾芭蕉の「奥の細道」の序章にある、
「月日は百代の過客にして、行きかう人も又旅人なり」
の元歌が在る
『春夜宴桃李園序』を書いた人です。
唐の皇居は豪華極まれり、だったことでしょう。
皇帝の座をめぐる様々な出来事の中、
阿倍仲麻呂は、
空を見上げて
ふる里奈良の山に昇っていた月を想い
どのような気持ちだったのでしょうね。
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阿倍仲麻呂が亡くなった770年、天智天皇の孫の白壁王(62歳)が即位し、第49代光仁(こうにん)天皇となりました。
第49代光仁天皇即位により、天武天皇(大海人皇子)の皇統は断絶し、百人一首1番歌の天智天皇(中大兄皇子)の皇統に移りました。
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