百人一首6番歌
かささぎの 渡せる橋に
置く霜の
白きを見れば
夜ぞふけにける
by 大伴家持
718?~785
おおとものやかもち、中納言やかもち
家持(やかもち)は、大伴旅人(たびと)の息子。
旅人の妻亡き後、異母妹の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が家持の養育をしたといわれます。
「かささぎの渡せる橋」とは?
天の川にかかる橋のことです。
七夕の夜に
織姫と彦星が逢うために
かささぎが 翼をつらねて
天の川に橋をかけた、
という中国の伝説の橋。
①の説
「霜」は、天の川に 散らばる星々のこと。
天の川にかかる伝説の橋に
霜のように白く輝く星々を見ると
夜も更けたのだなあと思う
②の説
「霜」は、宮中の階段に降りた霜のこと。
(宮中の邸宅を天上になぞらえて、宮中の階段(階は、はし、と読む)のことを、かささぎの渡せる橋とした)
宮中の階段に
霜が白く美しく輝いているのを見ると
夜もふけたのだなあと思う
「かささぎの・・」は
『新古今和歌集』の冬の部に含まれています。
②の説が採用されたのですね。
①夏の夜空を見上げて
天の川を眺めて、星々を霜にたとえるなんてロマンチックですね。
②宮中の階段をかささぎの渡した橋と捉えて、冬の宮中に霜が降りる風景も素敵ですね。
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大伴家持は、天平年間は内舎人として聖武天皇に近侍して数々の歌を作りました。
「万葉集」の編纂にも大きな役割を果たしたとされています。
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757年に起きた「橘奈良麻呂の変」の時には、大伴一族も処罰を受けましたが、家持は関与せずとして処罰は免れました。
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平城京は、世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつ「平城京跡歴史公園」として広い公園になってるそうです。
(家持が没した直後に藤原種継暗殺事件が造営中の長岡京で発生し、家持も関与していたとされて、追罰として、官籍から除名されました。その後20年以上経過した延暦25年に恩赦を受けて従三位に復しました。)