百人一首二番歌
春過ぎて
夏来にけらし
白妙の(しろたえの)
衣ほすてふ
天の香具山(あまのかぐやま)
by 持統天皇
645年生まれ 702年没
在位は 690~697年
夫は 天武天皇。
天武天皇は
伊勢神宮の祭祀を国家事業とし、
式年遷宮を定めた天皇です。
現在の宮中最重要祭祀、新嘗祭を伊勢神宮で初めて行ったのが持統天皇です。
夫、天武天皇が逝去、皇太子の息子(草壁皇子)は28歳で亡くなり、孫はまだ小さかったため、皇后が即位し 持統天皇となりました。
夫と息子に先立たれてしまった持統天皇は、夫の治世を引き継ぎ、薬師寺の建立に携わり
「大宝律令」を編纂
藤原京を造営して皇居としました。
藤原京から 東南の方角に 天の香具山が眺められたそうです。
天の香具山は小高い丘で、
神話では『香具山は天から降りてきた』(または、天から人が降りてきた)ということで、「天の香具山」と言われるそうです。
藤原京から、
ああ、春が過ぎて夏が来たのね、と、
夫や息子との日々、それからの日々、人々の日々・・どんな思いを馳せ
天の香具山を眺めたのでしょうか。
一番歌(父、天智天皇の歌)への返歌という説もあります。
万葉集に、持統天皇が、亡き夫、天武天皇を偲ぶ歌がいくつかあり、深い悲しみが慮れるというので、
いつか万葉集の持統天皇の歌も読んでみたいと思います。
そして、持統天皇の治世中に
大宝律令(法律、法令を定めたもの)の編纂に中心的に携わった藤原不比等ですが
天智天皇に藤原の姓を与えられた中臣鎌足の息子です。
つまり、藤原定家(百人一首を作った人)の先祖です。
藤原定家は
一番歌には、初めて藤原の姓をくれた天皇の歌を
二番歌には、藤原二代目を登用した天皇の歌を
選んでるのですね。
浅い知識で、百人一首二番歌について知ったことを載せました。
💮春過ぎて 夏来きけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山💮
万葉集にある元歌には、
「衣干したり」と実際に見ている景色として詠まれています。
新古今和歌集から選んだ百人一首では「衣干すてふ」と伝聞(干したという)になってます。
藤原京から天の香具山を眺め
何を想ったのでしょうね
持統天皇は、15歳になった孫(息子の草壁皇子の息子)に譲位して初の太上天皇(上皇)となり、孫は第42代天皇・文武天皇となりました。
文武天皇は 藤原不比等の娘(養女)と結婚し、息子は聖武天皇となりました。
持統天皇は、夫と息子に先立たれましたが、無事に孫に譲位して一緒に世を治めたのち、60歳前に亡くなった女帝でした。
追記
藤原京とは、後からつけられたネーミングです。
16年間皇居があり、持統、文武、元明の3代の天皇が居住し、元明天皇のとき、710年に平城京に遷都されました。
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