番外メモ 百人一首の後半

百人一首 番外メモ 百人一首後半は、保元の乱や平治の乱が起こり平清盛が政治の実権を握り、そして滅び、源氏の鎌倉武家政権が始まった時代の人々の歌。76番歌の作者・藤原忠通は、保元の乱、平治の乱を生き抜いた人。77番歌の作者・崇徳院 保元の乱で後白河…

(77)瀬を早み 岩にせかるる 滝川の

百人一首77番歌瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ「詞花集」恋上『題知らず』229 by 崇徳院 1119~1164 第75代天皇崇徳天皇の父は鳥羽天皇。 母は、待賢門院璋子(藤原公実の娘) 滝川の流れが早いので、岩にあたって急流が2つに分か…

(76)わたの原 漕ぎ出でてみれば 久方の

百人一首76番歌わたの原 漕ぎ出でてみれば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波「詞花集」雑下382by 法性寺入道前関白太政大臣 ほっしょうじのにゅうどう・さきのかんぱく・だじょうだいじん) 藤原忠通 1097~1164 藤原北家 書の法性寺流の始祖 大海に舟を漕ぎ…

(75)契りおきし させもが露を 命にて

百人一首75番歌ちぎりおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋も去(い)ぬめり「千載集」雑上1023by 藤原基俊 1056~1142 右大臣藤原俊家の子 75番歌藤原基俊も、74番歌源俊頼と同じく堀河院歌壇のひとりで、歌合の論評で対立するなどライバルだったようで…

(74)憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ

百人一首74番歌憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを「千載集」恋2-707by 源俊頼朝臣 1055~1129 宇多源氏の末裔 71番歌・源経信の3男 85番歌・俊恵法師の父 74番歌は「千載集」詞書によると、藤原定家の祖父藤原俊忠の邸で「祈れども逢…

(73)高砂の 尾の上の桜 咲きにけり

百人一首73番歌高砂の 尾上(をのへ)の桜 咲きにけり 外山(とやま)の霞 立たずもあらなむ「後拾遺集」春上120by 前中納言匡房(大江匡房) さきのちゅうなごんおおえのまさふさ 1041~1111 59番歌赤染衛門の曾孫 心待ちにしていた彼方の高い山の頂きの桜が…

番外メモ 「堀河院艶書合」を主催した堀河天皇の時代

「堀河院艶書合」を主催した堀河天皇は第73代天皇。 (1079-1107) 白河天皇の第2皇子。母は中宮賢子(藤原師実の養女。実父は源顕房)で、1084年に亡くなりました。異母弟の皇太子実仁親王が死去したため、1086年に立太子し、即日父白河帝の譲位を受けて8歳で即位…

(72)音に聞く 高師の浜の あだ波は

百人一首72番歌音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ 「金葉集」恋下469by 祐子内親王家紀伊 生没年不詳 後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房 (有名な高師の浜の波にはかからないようにします。袖が濡れてしまっては困りますから) 「金葉…

(71)夕されば 門田の稲葉 おとづれて

百人一首71番歌夕されば 門田(かどた)の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く 「金葉集」秋173by 大納言経信 (源経信、つねのぶ) 1016~1097 宇多源氏の公卿 74番歌俊頼の父 85番歌俊恵法師の祖父 夕されば=夕方になると葦のまろや=葦葺の粗末な小屋…

(70)寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば

百人一首70番歌 寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮 「後拾遺集」秋上333 by 良暹法師(りょうぜんほうし) 生年不詳~1064年頃? 「宿」は旅館ではなく自宅、庵のことです。良暹法師は、大原や雲林院にも住んでいたようです。俗世を避けて…

(69)嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は

百人一首69番歌 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり 「後拾遺集」秋下366 (永承4年内裏歌合によめる)by 能因法師 (橘永愷たちばなのながやす) 988~1050頃 橘氏の末裔 後冷泉天皇の時代、永承4年(1049年)11月9日に宮中で催された歌合で…

(68)心にも あらで憂き世に ながらへば

百人一首68番歌心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな 「後拾遺集」雑1-860 by 三条院 976~1017 冷泉天皇の第2皇子 1011年に即位 1016年に後一条天皇に譲位 心ならずも、この辛い世に生きながらえてしまったならば、きっとこの夜更けの…

(67)春の夜の 夢ばかりなる 手枕に

百人一首67番歌 春の夜の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 「千載集」雑上964by 周防内侍 生年不詳~1108年頃 桓武平氏高棟流、平棟仲の娘 短い春の夜の夢のような、しばしのまどろみに貴方の手枕をお借りして、そのために浮き…

(66)もろともに あはれと思へ 山ざくら

百人一首66番歌 もろともに あはれと思へ 山ざくら 花よりほかに 知る人もなし 「金葉集」雑上521 (大峰に思ひもかけず桜の咲きたりけるを見て)by 大僧正行尊 1055~1135 三条天皇の曾孫 小一条院敦明親王の孫 源基平の息子 もろともに慈しみ合おう山桜よ こ…

番外メモ 源氏の始祖たち

番外メモ 源氏の始祖たち65番歌作者相模の父・清和源氏・源頼光は摂津源氏の始祖です。百人一首1番歌、飛鳥時代の天智天皇の歌に始まり、時は流れて 紫式部や清少納言が活躍した後の貴族の恋の歌などが続いた後、65番歌に清和源氏の娘相模が登場しました。田…

(65)恨み侘び ほさぬ袖だに あるものを

百人一首65番歌恨み侘び ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ 「後拾遺集」恋4-815 (永承6年内裏歌合に)by 相模 995~1061 清和源氏源頼光の娘(または養女) 恨む気力もなくなって 涙で乾くひまもない袖だけでも惜しいのに その上に、恋の…

(64)朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに

百人一首64番歌朝ぼらけ 宇治の川霧 絶えだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木 「千載集」冬419by 権中納言定頼(さだより) 995~1045 公任(55番歌)の長男 夜明け方、立ちこめていた宇治川の霧がとぎれて、霧のたえまたえまに現れる、川瀬の網代木よ。 ⌒*:゚⌒*:゚⌒*:…

(63)今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを

百人一首63番歌今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな 「後拾遺集」恋3-750 by 左京大夫道雅 993~1054 関白藤原道隆の孫 内大臣伊周の息子 今となってはもう、貴方への思いを諦めようということだけを、人づてではなく直接逢って言う…

(62)夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも

百人一首62番歌夜をこめて 鳥のそら音(ね)は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 「後拾遺集」巻16雑上939by 清少納言 966?~1027? 36番歌・清原深養父の曾孫 42番歌・清原元輔の娘 「枕草子」著者 一条天皇皇后定子の女房 まだ夜が明けないうちに、 (孟嘗君が…

(61)いにしへの奈良の都の八重ざくら

百人一首61番歌いにしへの 奈良の都の 八重ざくら 今日九重(ここのえ)に 匂ひぬるかな「詞花集」春29 by 伊勢大輔(いせのたいふ) 生没年未詳 大中臣能宣(49番歌)の孫 中宮彰子の女房 紫式部の後輩 大中臣氏は代々伊勢の祭主で、父輔親が神祇官の大輔だったため…

(60)大江山 生野の道の 遠ければ

百人一首60番歌大江山 生野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 「金葉集」雑上550 by 小式部内侍(こしきぶのないし) 生年不詳~1025 和泉式部(56番歌)の娘 父は和泉式部の最初の夫、橘道貞 中宮彰子に仕えた 母の居る丹後までは、大江山を越え生野を通る…

(59)やすらはで 寝なましものを 小夜更けて

百人一首59番歌やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな 「後拾遺集」恋2-680 by 赤染衛門(あかぞめえもん) 958年頃~没年未詳 大江匡衡(おおえのまさひら)の妻 曾孫は73番歌・大江匡房 中宮彰子に仕えた あなたが来ないとわかって…

(58)有馬山 いなのささ原 風吹けば

百人一首58番歌有馬山 いなの篠原(ささはら) 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする 「後拾遺集」恋2-709by 大弐三位(だいにのさんみ) 999年頃生まれ~没年未詳 紫式部(57番歌)の娘賢子 中宮彰子に仕えた 「後拾遺集」の詞書 「離れ離れ(かれがれ)なる男の、お…

(57)めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬまに

百人一首57番歌めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな「新古今集」雑上1497 by 紫式部 生没年不詳 藤原為時の娘。 「源氏物語」「紫式部日記」作者 中宮彰子の女房の一人 久し振りにめぐり逢い、間違いなくその人なのかと見分けが…

(56)あらざらむ この世のほかの 思ひ出に

百人一首56番歌あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 「後拾遺集」恋3-763 by 和泉式部 970年代~不詳 越前守大江雅致(まさむね)の娘 中宮彰子の女房の一人 60番歌小式部内侍の母 あらざらむ(=死にそうな私が)この世のほか(=あ…

(55)滝の音は たえて久しく なりぬれど

百人一首55番歌滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ「千載集」雑上1035 (「拾遺集」雑上449:滝の糸)by 大納言公任(きんとう) 966~1041(76歳) 関白太政大臣頼忠の息子 64番歌定頼の父 水が枯れて滝の音が絶えて久しいですが、そ…

(54)忘れじの 行く末までは かたければ

百人一首54番歌忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな「新古今和歌集」恋3-1149by 儀同三司母 高階貴子 (たかしなのきし、たかこ) 生年不詳~996年 藤原道隆の妻 一条天皇后定子の母 忘れないと仰いますが、これから遠い先までずっとな…

(53)嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は

百人一首53番歌嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る「拾遺集」恋4-912by 右大将道綱母 937頃~995頃 「蜻蛉日記」の作者 18歳位頃に藤原兼家と結婚して翌年道綱を出産。 嘆きながら1人寝する夜、夜明けまでがどんなに長く辛いことか…

(52)明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

百人一首52番歌明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな「後拾遺集」恋2-672 by 藤原道信朝臣 972~994(23歳) 夜が明ければやがて日が暮れてまた逢えると知っていますが、それでもなお恨めしいのは去らなければならない明け方にな…

(51)かくとだに えやはいぶきの・・その②

百人一首51番歌・・その②藤原実方は、父・定時が早世したため、叔父の大納言・藤原済時(なりとき)の養子となりました。天延元年(973年)叙爵。左近少将、左近中将等の武官を歴任しています。 長徳元年(995年)正月、陸奥守に任じられました。同年3月から…